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医者と患者の関係 (2)






医者と患者の関係 (2)


以前にもこのブログで取り上げたことのある、国際的に
高い評価を受けている心臓外科医の南淵明宏さんが
著した、

『心臓外科医の挑戦状』
(南淵明宏 中公文庫 2008年3月25日 初版発行)

を読了しました。


この本の中に、「医者と患者の関係はどうあるべきか」
というテーマが書かれた箇所がありました。


そこで、 「医者と患者の関係」 を中心に
本の内容と、私の考えをご紹介していきます。


もちろん、私は素人ですから解釈に間違いがある
かもしれません。


もし間違いがあれば、ご指摘していただけると幸い
です。


まず、南淵明宏さんについてご存じない方のために、
プロフィールをご紹介します。



 1958年大阪府生まれ。 83年奈良県立医科大学

 卒業。 国立循環器病センター、セント・ビンセント

 病院(オーストラリア)、国立シンガポール大学病院、

 新東京病院などを経る。医学博士。わが国屈指の

 心臓外科のスペシャリストとして国際的な評価も

 高い。 現在、大崎病院 ハートセンター長。
 

  (『心臓外科医の挑戦状』 「著者紹介」からの抜粋
 と、近況は心臓外科医 南淵明宏 公式サイトの
 「プロフィール」から補足





心臓外科医 南淵明宏 氏
Wikipedia から








目次

第1章 医者と患者の深い溝

第2章 違和感だらけの医療裁判

第3章 医者同士の壁

第4章 患者の心得




本書の章順に従って、内容をご紹介して
いきます。


第2回は、第2章 違和感だらけの医療裁判です。

南淵さんは、原告(被害者)側証人として裁判に
出廷したことが難度もあるそうです。


法廷の内外で繰り広げられた争いに巻き込まれた
経験もあり、その都度感じたことも記しています。


手術室の中で行われたことは、手術に携わった
病院関係者だけしか知りません。
つまり、密室の中で行われているのです。


それだけに、手術中あるいは、手術後に患者さんが
亡くなった場合、遺族が訴訟を起こすケースがあり
ます。


その場合、どのように裁判が行われるのかについて、
詳しく語っています。 


その前に、まず、病院とはどのようなところなのか、
語っています。誰もが納得できることでしょう。


 病院とは人が死ぬところである。人の死を十分に

 理解し、納得することで「病院での死」は受け入れ

 られるのである。病院とは人が死んでしまうところで

 あるが、また患者や家族が「納得」するところでも

 あるのだ。
 

  (『心臓外科医の挑戦状』 P.61  以下同様)





 医療裁判 

「医療裁判」とは何か?
この問題に関して真摯な態度で語っています。
「感情裁判」という言葉が出てきます。


 医療裁判の多くは何かに納得できなかった患者遺族

 が起こす感情裁判だ。

 感情裁判とは、つまり患者遺族側が病院の不誠実な

 対応に「ミスの存在を確信して」起こす損害賠償請求

 の民事裁判、という意味である。 言い換えれば多くの

 場合患者側は、最初の段階では、ミスを合理的に証明

 する証拠を何ら持ち合わせない、患者側の推量で裁判

 起こす決心を固めているのである。 前章で述べたよう

 に結果がどのようなものでも、病院や医師はたいがいの

 場合、患者側に医療行為の説明のための資料や文書を

 渡す、あるいは交付することはないからだ。
 

  (PP.60-61)


病院や医師は、資料を保管しているはずですから、
患者側からの請求がなくてもコピーを渡すことはできる
はずです。 しかし、現実にはそうならないのですね。



こうした状況では、訴訟を起こしても証拠隠滅されたら
患者側は不利になります。


 証拠保全という法律的手続きがあり、カルテやレントゲン

 写真の複製を患者側が入手することができる。

 そのカルテを読み解き、過失を客観的証拠(カルテのこと)

 にもとづいて立証し、しかるのちに訴訟にいたるのが普通

 だが、医療事故情報センターの堀康司氏によると、

 医療裁判の60%はこういった証拠保全なしに行われて

 いるのだそうだ。
 

  (P.62)



医療事故情報センターについて調べてみました。


 医療事故情報センターは、医療事故被害者の

 代理人として活動する全国各地の弁護士が

 正会員となって構成される任意団体です。

 わたしたちは、医療事故の被害回復と再発防止

 の実現に向け、様々な活動を行っています。
 

  (医療事故情報センター Wikipedia から)



医療事故情報センターは、
「医療事故被害者の代理人として活動する
全国各地の弁護士が正会員となって構成
される任意団体」だそうです。


このサイトの中に、「医師から説明を受ける時」
という項目があります。
その一部をご紹介しましょう。


 医師から説明を受ける時

 何よりも肝心なことは、医師から説明を受けた後で
 必ずそれを記録しておくことです。

 実際に医師に説明を受ける際には、次の事項が
 一応の目安となります。

 患者の異変発生までの投薬や処置の内容と、
 それについての事故・副作用・合併症の可能性。

 これらについて事前の説明と食い違っていた

 場合に、その食い違いの理由。

 医療事故発生時の状況と医師・看護婦等の対応。

 事故直後に受けた説明と現在の説明とに食い

 違いがあれば、その食い違いの理由。

 患者の異変の原因についての医師の意見。

 後遺症、治癒の可能性について。
 

  (医師から説明を受ける時 医療事故情報センターのサイトから) 




ただし、いくら密室の中で手術が行われても、
内部告発文書が遺族のもとに届けられること
があるそうです。


 内部告発文書が遺族のもとに送られるという

 事態がもとで医療裁判に踏み切ったケースが

 ある。

 こういった内部告発文書は、わざと文法的に

 おかしな部分があったり当て字が使われて

 いたり、奇怪な文面であることが多い。

 2002年にある大学病院での医療事故で娘を

 亡くされたH氏のもとにも内部告発文書が

 届いたが、両親は最初は何を言いたい文書

 なのか理解できなかったという。

 こういった内部告発文書はもちろん匿名であり、

 告発者が出所を推測されるのを極端に恐れた

 結果なのだろう。
 

  (PP.67-68)



ここで、医療訴訟件数はどうなっているか調べて
みました。


グラフ1


医療訴訟の件数とその推移




新受も既済も横ばいですね。
増加はしていません。



グラフ2


医療訴訟の件数とその推移




整形外科や産婦人科がもう少し多いかと思い
ましたが、内科や外科を上回ることはありま
せんでした。



表1






平均審理期間は、ほぼ2年でこれもほとんど
変動がありませんでした。


これらのグラフや表を見て感じたことは、
医療訴訟は年々増加傾向にあるかと
予測していましたが、完全に外れたこと
です。


その理由として考えられることは、次のこと
です。少々長いですが、ご一読ください。
医療が非常に専門性の高い行為であることが、
裁判に長く暗い影を落としています。


原告側が勝訴できないのはなぜか、
頷けることがあります。


 最高裁の資料によると、医療過誤の民事訴訟は

 年間、約800件に上る。

 高い専門性が必要なため、通常の民事裁判よりも

 審理に時間がかかる。

 さらに訴えた患者側の主張が通る勝訴率は、

 約2割にすぎない。

 通常の裁判では8割だから、医療過誤で裁判を

 起こすには、極めて厳しい覚悟が必要になるようだ。

 しかし、それでも患者本人や残された遺族は、

 医師の謝罪を求め、何が起こったかを知りたいが

 ために提訴する。


 なぜ、患者側が勝訴することが難しいのか。

 裁判では、誰がどのように医療ミスを立証して

 いくのか。

 医療訴訟にくわしい浅尾美喜子弁護士に聞いた。


 「医療過誤事件においては、患者側の弁護士は、

 訴訟にする前に医療機関側と話し合いの機会を

 持つのが通常です。医療機関側の過失が明らか

 な事案では、この話し合いの段階で、医療機関が

 自らの過失を認めて示談にする例がほとんどです。

 つまり、医療機関側の過失が相当程度明らかな

 場合は、訴訟にはならず、訴訟前和解(=示談)で

 解決されるということです。


 医療機関側の過失は原告(患者側)が立証しな

 ければなりませんが、一般的に医師は医師をかばう

 傾向があり、過失があったと証言してくれる医師を

 見つけることは、至難の業です」

 浅尾弁護士はこのように医療訴訟の特徴を指摘

 したうえで、「医療事件で患者側の勝訴率が低く

 なるのは、医療がきわめて専門的で閉鎖性が高い

 分野だから、という側面があります」と話していた。
 

  (「医療過誤訴訟」はなぜ難しい?
   患者側の勝訴率わずか2割
 から)


上記の話は、南淵さんが、この本の中で指摘して
きたことと、軌を一にしています。


医師と患者の間には、「深い溝」があるのです。




 手術時間 

「手術にも適正な時間がある」、という話です。
長時間かかる手術は「怪しい」ということです。


 たいがいの場合、問題となった手術は長時間

 かかっている。トラブルがあれば当然手術は

 そう簡単には終了しない。もちろん予想外に

 病変の激しい場合は困難な手術となり時間は

 かかる。あるいは未熟な医師が行った手術は

 必ず時間がかかる。熟練者、あるいは「できる」

 やつというのは、短時間で的確にいい仕事を

 するものなのだ。

 
 手術にもはっきりと、適正な時間がある。

 適正な時間より明らかに短い時間で手術を

 やり終えるスーパーな手術があることはあるが、

 遅い手術でよいということはありえないはずだ。

 理由もなく異常に遅い手術はもはや手術とは
 
 呼べない。
 

  (PP.71-72)




 証拠が手に入らない 

医療訴訟が他の訴訟と異なる点は、
「肝心なところでは手に入らないもの」だ、と指摘
しています。怖ろしいことですね。


物的証拠が入手できなければ、原告側が勝訴
できるはずがありません。
遺族は踏んだり蹴ったりです。



 医療裁判では、本来ならば患者の病気の状態や、

 死亡の原因を客観的に物語るはずの実際の証拠

 は、肝心なところでは手に入らないものなのである。

 やはりある大学病院で行われた腹部の内視鏡手術

 で、患者が術直後に両足の血管が血栓で完全に

 閉塞してしまったことで死亡するという事例があった。

 裁判になっているようだが、裁判で提出された足の

 血管から摘出した血栓の写真について、本当に患者

 本人のものであるか、患者側から疑義が出されたと

 いうことだ。

 提出された写真は大きく印刷、というかプリントされた

 ものであった。

 まず第1の疑問は、血栓の写真には、よく手術で摘出

 した臓器の標本に見られる名前と日付けの名札が

 撮影されていない。というより、トリミング、つまり画像

 が切り取られたふしがあるということだ。

 第2の疑問は両足の血管が詰まっているにもかかわ

 らず写真は片足の血栓だけであったというのも不自然

 な点だということだ。血栓の形状はきれいに片一方の

 足の血管に詰まっていたそのままの形で並べられて

 いたらしい。

 医師が自分のデジカメで撮影した、ということなので、

 デジカメの機種を教えてもらい、IT機器に詳しい弁護士

 が検討するとやはり画像のサイズがあわないという。

 医師にメモリーに記録されているはずのもともとのデータ

 を提出していただきたいと希望したら、廃棄した、

 とのことだ。また提出された血栓の写真は、もともとの

 画像データを印刷し、その後それをスキャナーでスキャン

 したのだということだ。なんとも複雑な工程で出来上がった

 写真のようだ。
 

  (PP.76-77)


ここまで来ると、証拠の捏造と隠滅ですね。
とても信じられないことです。
ですが、現実に起こったことです。




 プロとは? 



 今日専門家、すなわちプロは、素人が理解できる、

 素人でも納得できる内容の「仕事」をしなければ

 ならないということであるし、それが可能となるよう、

 素人向けの素人受けするプレゼンができなければ

 プロとは言えない、ということだ。具体的にはまず

 医療行為のビジュアルで信頼のおける記録であろう。

 カルテや画像、手術のビデオ、それらはプレゼンの

 有効なアイテムなのである。

 こういった現場の専門家が一般素人社会に歩み寄る

 姿勢があれば、裁判はもっと判定がしやすくなるだろう。
 

  (P.91)



極めて分かりやすく、十分に納得できる「プロ論」だ、
と思います。
専門用語を並べ、「お前たちには分からないだろう」
という態度は、自分は優秀であるということをひけら
かしたいのでしょうが、その一方で誤魔化している
とも取れます。




 意見書 

意見書なるものがあります。私は鑑定に相当する
ものと考えていましたが、南淵さんは実際にはその
ような扱いはされていない、と述べています。



 実際に私はこれまでに10通以上の意見書を

 裁判に提出した経験がある。これらは、すべて

 患者原告側の依頼によるもので、裁判所鑑定

 という権威ある(はずの)ものではなく、私的鑑定

 意見書なるただの参考程度のものとの位置付け

 である。しかし、そこに正しいことが書いてあれば

 裁判官も「なるほど」と耳を傾けてくれるかもしれ

 ない、ということで一生懸命書かせていただくの

 だが、裁判官の心証の形成、つまり裁判の行方

 にどれだけ役に立っているのか自分ではわから

 ない。
 

  (P.104)



裁判官は法律の専門家ですが、医療の専門家では
ありません。


ですから、どのような手術がどのように行われたか、
十分に理解することは困難です。


勢い、原告(患者)側と被告(医師あるいは病院)側
の当事者あるいは、代理人(弁護士)のどちらが、
より「真実」に近い証言をしているか、心証で判定
することになってしまうのではないでしょうか。


裁判員制度が導入されましたが、選任された一般人
は、ほとんどが裁判と医療の知識がない素人です。
その人たちに裁定させるのは土台無理があるのです。




南淵さんの次の言葉は、じっくりと考えてみる必要が
ある、と感じました。


 心肺停止した後に行われた警察立会いの司法解剖

 においてもその原因がはっきりと究明できていない

 状況で、最初に診た開業医の責任が裁判で合理的

 に問われるとしたら、人が一人亡くなればどんな理由

 であれ、必ず一人の医師がその責任を問われること

 になる。これでは医者はこの世にいなくなる。患者死亡

 という、治療の結果がもたらす悲劇が、医療裁判を

 経由することで新たな過ちと禍根、諦めと不信、憤りと

 怒りを生み出すことになれば、医療という文化を朽ち

 果てさせてしまうだろう。
 

  (P.110)





第1章の最後で、南淵さんは次のように問題提起
しています。
『心臓外科医の挑戦状』の初出は2004年12月です。
11年近く前に書かれた状況が改善されていると、
よいのですが、私はそうでないことを危惧しています。



 この国では現在、大半の病院で、患者が受けた

 治療の内容が10年もたつと、誰も知らない、

 歴史に埋もれた事実という扱いになってしまうのだ。

 これも「何でも水に流す」という国民性のなせる業

 なのであろうか。
 

  (P.56)




かなり長い文章となりました。
第2回は、ここまでにします。


第3回は、
「第3章 医者同士の壁」
をお伝えします。




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医者と患者の関係 (1)





医者と患者の関係 (1)

あなたは最近、病院や医院などの医療施設へ
出かけましたか?


私は、ここ数年、病気や怪我で医療施設を訪れた
ことはありません。


別に自慢でも何でもありませんが、「体調が悪い」
とか、「精神に異常をきたしている(?)」といった
自覚症状がないからです。 もちろん、怪我もして
いません。


ただ、還暦を来月に迎える今になって、五十肩(?)
かどうか明らかではありませんが、左腕を耳の横で
真っ直ぐ180度上げると、二の腕から肩と腕の付け根
あたりまでに鋭い痛みが走る瞬間があります。


加齢によるものだろうから仕方がない、と勝手に解釈
しています。


もう何年も風邪などで高熱を発したり、悪寒がするとか
の経験もしていません。鼻風邪(花粉症か?)は、
よくひきますが、鼻をかむだけです。



前口上はこの辺りで終わりにし、本題に入ります。


以前にもこのブログで取り上げたことのある、国際的に
高い評価を受けている心臓外科医の南淵明宏さんが
著した、

『心臓外科医の挑戦状』
(南淵明宏 中公文庫 2008年3月25日 初版発行)

を読了しました。


この本の中に、「医者と患者の関係はどうあるべきか」
というテーマが書かれた箇所がありました。


そこで、 「医者と患者の関係」 を中心に
本の内容と、私の考えをご紹介していきます。


もちろん、私は素人ですから解釈に間違いがある
かもしれません。


もし間違いがあれば、ご指摘していただけると幸い
です。


まず、南淵明宏さんについてご存じない方のために、
プロフィールをご紹介します。



 1958年大阪府生まれ。 83年奈良県立医科大学

 卒業。 国立循環器病センター、セント・ビンセント

 病院(オーストラリア)、国立シンガポール大学病院、

 新東京病院などを経る。医学博士。わが国屈指の

 心臓外科のスペシャリストとして国際的な評価も

 高い。 現在、大崎病院 ハートセンター長。
 

  (『心臓外科医の挑戦状』 「著者紹介」からの抜粋
 と、近況は心臓外科医 南淵明宏 公式サイトの
 「プロフィール」から補足





心臓外科医 南淵明宏 氏
Wikipedia から








目次

第1章 医者と患者の深い溝

第2章 違和感だらけの医療裁判

第3章 医者同士の壁

第4章 患者の心得




本書の章順に従って、内容をご紹介して
いきます。


第1回は、第1章 医者と患者の深い溝です。


医者と患者で立場の違いが、誤解を生じさせ、
問題を複雑化させていることに気づきます。
 「深い溝」とは?


南淵明宏さん(以後、南淵さん)は、まず患者の
誤解を次のように指摘しています。


多くの人に心当たりのある内容でしょう。



 「自分は素人」であり「医学知識に乏しく」、

 逆に「医者は何でも知っている」のであって

 「病院は病気を必ず治してくれる」と思考する

 パターンこそが、自分で病院の権威を闇雲

 に信じ込み、それだけ壁を高くしてしまう原因

 ではないかと私は思う。 患者側の病院に

 対する過度の期待が、病院を囲む城壁を実際

 より高く堅牢なものに補強しているというわけだ。
 

  (『心臓外科医の挑戦状』 P.20  以下同様)



一般的に言えば、医者になった人は当然のこと
として、他人(ひと)より多く勉強した人であり、
頭がいいという「事実」があります。


もちろん、医者になってからも最新医学の研究を
続けているかどうかは、患者側からは判断でき
ませんが。



 「ムンテラ」 という聞きなれない言葉が出てきます。
南淵さんによれば、「和製ドイツ語」だそうです。


ムンテラという業界用語ご存じでしたか?



 手術に先立って医者が患者や家族に行う

 説明、これをムンテラという。またそれ以上に

 も、医者が患者に行う説明行為を広義の

 「ムンテラ」という。

 日本の医者のほとんどはドイツ語を話せない。

 私もそうである。 話せないばかりか読めない。

 理解もできない。 しかし、日常の臨床風景に
 
 は和製ドイツ語がギョーカイ用語として通用

 している。その最たるものがこの「ムンテラ」

 である。

 ムンテラとは「ムント(口)」+「テラピー(治療)」、

 つまり「口で治療すること」であり、もっと具体的

 に言えば「言いくるめること」ということになる。
 

  (P.23)


ここまで書かれると、大半の医者は身も蓋もない
かもしれません。 あるいは憤慨するかもしれま
せん。


南淵さんの解説で、ムンテラは「手術に先立って
医者が患者や家族に行う説明」「またそれ以上に
も、医者が患者に行う説明行為」ということが
分かりました。


では、医療事故が発生した場合、具体的には
患者が手術中、あるいは手術後に死亡した場合、
遺族が医師や病院を相手取って訴訟を起こした
場合を想定してみましょう。


その場合、ムンテラは法律的にどのような位置づけ
になるのでしょうか?


そうした重要な問題を書いています。



 ムンテラの法律的解釈はどうなっているので

 あろうか。 医師法には、医師の健康指導義務

 という漠然とした規定があり、「医師は、診療

 をしたときは、本人又はその保護者に対し、

 療養の方法その他保健の向上に必要な事項

 の指導をしなければならない」とある。

 事実をもって説明、とは記載されていない。

 つまり医師の裁量(正しいと思うそれぞれの

 方法)で患者の健康向上に有益と判断された

 場合、「まっ赤な嘘」でもついてもいいことに

 なる。
 

  (P.26)



この説明を読んで、「当然のことだ」と理解する人と、
「えっ? そんなバカな!」と驚愕する人に二分される
かもしれません。


私は後者でした。




「プロの仕事とは何か」についても言及しています。



 外科医にとって、いかに入試偏差値の高い大学

 医学部を卒業していようが、手術においては手術

 経験がものを言う。 あたり前の話だ。 手術の

 経験が浅い外科医には、何よりも怖さを知らない

 という欠点がある。 どのような仕事でもそうだが、

 仕事は怖いものである。 プロの仕事とは、毎日

 いかにビクビクしながら怖がって仕事をしているか、

 と言い換えることができよう。
 

  (P.38)



私は手術を受けた経験がありませんので、
手術を受ける患者さんの不安な気持ちを実感
できません。


さらに言えば、大学病院で教授が「私が執刀する」
と口約束していたが、フタを開けるとインターンに
執刀させ、その結果、患者さんが死亡したという
ケースを聞いたことがあります。


「一件落着」となったかどうかは知りませんが、
「ムンテラ」の話を知ると、患者さんの遺族は言い
くるめられたのかな、と思ってしまいます。


手術を受ける患者さんの側からは、執刀医が手術
経験の豊富な医者なのか、あるいは極論すれば、
ほとんど手術経験のない医者であるかは、前もって
知ることはできません。


生還できるかどうかは、医師の手術経験数と巧拙に
左右されることになります。



 重要なのは、ある心臓外科医が年間に300例

 近く冠状動脈バイパス手術を執刀している一方で、

 乏しい経験数の心臓外科医がたまにしか手術を

 やらない病院で「私は経験豊富でミスはありません」

 と説明することがあり得るのだということを、

 十分に認識することである。
 

  (PP.51-52)


つまり、手術は運だということです。
実際に手術経験が豊富で上手い医者が執刀するか、
あるいは経験が乏しい医者が執刀するかで、
生死を分ける可能性は大きいということです。


もちろん、南淵さんは「年間に300例近く冠状動脈
バイパス手術を執刀して」いるそうです。


開けてみたら、手遅れだったというケースはある
でしょう。 そうなれば、どんなに手術経験豊富で、
手術が上手な医者でも「手の打ちようがない」ことは
ありえます。


もう一度、「ムンテラ」について確認しておきましょう。
手術に先立って医者が患者や家族に行う説明、
これをムンテラという。 またそれ以上にも、医者が
患者に行う説明行為を広義の『ムンテラ』という。」 
(下線は藤巻隆)。


手術後の説明はほとんど行われていないという現実を
知ると、一体どういうことなのか、と考えてしまいます。
無事生還すれば、「万々歳」でおしまいなのでしょうか?



 手術の前の説明については必要性が声高に

 強調されるものの、手術の後の説明については

 あまり重視されていない。しかし、患者が「病院の

 壁」の存在を強く感じるのは、治療の前ではなく、

 治療の後なのである。そしてその一番の原因が、

 病院からの十分な説明のなさである。
 

  (P.55)



手術成功後、執刀医が「手術は成功しました」という場面が、
医療ドラマや、医学ミステリー映画に出てくることがあります。


手術した患部がどのような状態であり、どのように処理し、
再発の可能性は何%あるのか、といった点に触れることは
ほとんどありませんね。




第1章の最後で、南淵さんは次のように問題提起
しています。
『心臓外科医の挑戦状』の初出は2004年12月です。
11年近く前に書かれた状況が改善されていると、
よいのですが、私はそうでないことを危惧しています。



 この国では現在、大半の病院で、患者が受けた

 治療の内容が10年もたつと、誰も知らない、

 歴史に埋もれた事実という扱いになってしまうのだ。

 これも「何でも水に流す」という国民性のなせる業

 なのであろうか。
 

  (P.56)




初回は、ここまでにします。


第2回は、
「第2章 違和感だらけの医療裁判」
をお伝えします。





         
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医師看護師薬剤師の味方

Author:医師看護師薬剤師の味方
藤巻 隆(ふじまき・たかし)と申します。

私のメインサイト 本当に役に立つビジネス書 をご覧になったことがあるかもしれません。

今年2013年4月16日で、立ち上げてから12年目を迎えます。

今度は、医師、看護師、薬剤師の方の転職を支援するためにブログを立ち上げました。

より条件の良い職場に移りたいとお考えの方は、一般企業に務められている方も、医師、看護師、薬剤師の方も同じです。

さらに、医学に関するいろいろな情報を掲載し、ブログ閲覧者に資することを目指します。

建設的なコメントを希望していますが、有益なコメントであれば、厳しいご意見もお受けします。

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